第A13版:外国人眼中的宁波 上一版3  4下一版
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2014年10月14日 星期二  
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我和宁波的故事

第一次素不相识的老人拉我打太极拳
第二次宁波友人帮我找了3个小时护照

  长冈京市与宁波市于1983年4月建立友好城市关系。两个城市都是彼此的第一个国际友城。这一年,长冈京市完成了结交友城的夙愿,在市民的大力支持下,开始全面推进对华友好交流与合作。我清楚记得,我第一次访问中国是在1990年10月。当时我还很年轻,在市政府负责友好交流工作,我向市民征集去宁波市访问的团员,应者如云,由于机票预约的人数限制还拒绝了一部分市民。而且参加的市民中有市长夫人及多位友好人士,让我高度紧张。

  我们从上海搭乘火车抵达宁波站时,第一时间涌上心头的是“令人怀念的”“旧时风景”的感觉。我出身于京都郊外的乡下,在宁波看到熟悉的儿时风景重现眼前,心头十分激动。我感觉,淳朴的宁波人民特别是孩子们的眼神中蕴含着日本人没有的惊人力量。我们乘坐大巴前往酒店。沿途的红绿灯像是在欢迎远方来客似的一路“飘绿”,让车辆飞驰在大街上。主干线修整得十分舒服,但远处的小巷子里,还依稀透着旧时生活的气息,让我觉得宁波是个亲切的城市。现在不知道这个酒店还是否存在,当时我们入住的是一个叫作华侨饭店的大型酒店,大堂富丽堂皇,我感觉周遭的所有事物都显得大大的,心想中国人的心胸定然也十分宽广吧。这时候才有了到异国他乡的感觉。安静休息了一夜,第二天一早,我漫无目的地出去散步。漫步在陌生的街头,偶然发现人们在湖边(应该是月湖吧)打太极拳。我驻足观看了许久,素不相识的老人以为我是中国人,过来用中文跟我打招呼。我紧张的不得了,老人似乎没有发现我是日本人,一直用中文跟我说话。最后,我只好用日语说:“我是日本人,不会讲中文。”这下换老人吃惊了。不过很快,他拉过我的手,似乎在表示“跟我们一起早锻炼吧”,把我带入了打太极拳的人群中。对于太极拳,我只在电视上看到过,只好从模仿动作开始做起,周围的人们都用笑容看着我、指导我,让我在那个瞬间明白,友好相处有时候并不需要语言。

  从那之后,我跟宁波的联系与日俱增。去年6月,时隔25年,我第二次访问宁波,感觉到宁波发生了翻天覆地的变化,变成了一个国际化的大城市。我想象着宁波人民付出的极大努力,心里暗暗佩服。而宁波人民仍然以25年来不变的和善温柔迎接着我的到来。特别是,这次访问,我犯了一个致命的错误,将在访问中比生命还重要的护照弄丢了。记得那是个雨天,冰凉的雨水把我的心“浇凉”,但随行的宁波市政府工作人员一直以笑容安慰我“放心吧”。我走过的路、驻足过的地方,他们都帮我细细寻找,足足花了3个小时。当我正准备放弃的时候,突然收到联络,说在午餐厅找到了!我和宁波市政府随行人员在看到护照的那个瞬间,松了一口气。我向他们表示感谢,他们回答我说“我们是一家人,这是应该的”。多么温暖的话语!中国宁波真的是一座让人安心的国际化城市,谢谢您,宁波!

  日本京都府长冈京市 喜多利和 

  原文:

  長岡京市と寧波市は1983年4月に両市とも初めての友好都市として盟約を締結した。長岡京市は長年の夢が叶い、当時の市民は非常に喜び、日中友好を前面に出した取り組みがスタートした記念すべき年でもあった。私が、初めて中国を訪問したのは1990年10月のこと、当時の私は、まだ若く、市役所で友好交流担当の仕事をした。「寧波市に行きませんか」と市民に呼びかければ多くの希望者があり、飛行機予約の関係で人数を限定するのに苦労したことを思い出す。参加された市民の中には、市長の奥様や関係者も多くおられ、非常に緊張したことも思い出される。

  上海から列車で寧波駅に到着した時の感想は、「懐かしい」「昔の景色」というものでした。私も京都の郊外の田舎の出身であったことから、子供のころの景色が目の前に現れ、感動したことも思い出す。日本人にはない、どこか純粋に生きている寧波市の人々、特に子供たちの目の輝きは凄い力を感じた。宿泊ホテルまでの道のりはバスであったが、遠くからの友人を出迎えるかのように、信号は全て青色で超スピードで駆け抜けていったことしか覚えていない。ただ、幹線道路は非常に快適なものであったが、一歩、路地を見渡すと昔ながらの生活が垣間見えるような、親しみの感じる街であった。今はどうなったかはわからないが、当時宿泊したホテルは、華僑飯店という非常に大きなホテルであり、一歩ロビーに足を踏み入れると超豪華であり、また、すべての物が大きく、きっと人間の心も大きく、異国にいる感じを満喫した。ゆっくり休んだ、次の日の早朝、全く地形も街並みもわからないのに、散歩に出かけ、偶然見つけた池(おそらく月湖)の畔で太極拳をされている光景を目にし、しばらく見学していると、見ず知らずの老人が私を中国人と間違えたのか、中国語で話しかけてきた。私も最高に緊張したが、老人も私が日本人とは気づいてる様子もなく、中国語で何度も話しかけてきた。とうとう私は日本語で「私は日本人で、言葉がわかりません」と伝えると、老人も私がわからない言葉を発したので驚いた様子であった。しかし今度は、私の手を取って「一緒に体操しよう」という感じでみんなの方に連れて行ってくれました。私も太極拳はテレビでしか見たことはなかったが、真似をすることから始めたら、回りも笑顔で接してくださって、教えてくださって、仲良くなるのに言葉はいらないと実感した一瞬であった。

  その後も、私と寧波との繋がりは、一層深くなり、昨年6月に25年ぶりに寧波を訪問した時には、別の街かと錯覚するほど国際都市になっていた。その間の関係者のご努力は相当なものがあったであろうと想像し、頭が下がる思いであると同時に、寧波の人々の優しさは25年の年月が経過しても変わらず、私を迎え入れてくれた。特に、今回の訪中で、私は、命より大切であるはずのパスポートを紛失するという失敗を犯しました。冷たい雨の降る日であり、私の心は凍りついたが、寧波市人民政府の皆さんは片時も笑顔を絶やさずに「安心してください」と言ってくださった。私の歩いた道から立ち寄り先まで全て、探していただき3時間が経過した。私は心が折れ、諦めかけていた時、昼食会場からあったとの連絡があった。その場に駆けつけた私と寧波市人民政府の皆さんはパスポートを見た瞬間、良かったと抱き合いました。私が「有難う」と告げると「家族だから当然だ」と帰ってきた言葉に感動した。中国寧波市はやはり国際都市、安全な都市であると実感。有難うございました。

  日本京都府長岡京市 喜多利和 

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